居酒屋の意外な効果

豊島区のコンテストでもらった銅賞の賞状。
私が卒業したあと、妹が先生からもらってきたものだ。 中学時代における唯一の自慢である。
私は、ロクに学校にも行かずにアルバイトに明け暮れていた。 そのアルバイトの中には、建具屋でノコギリを挽きカンナを削るといったものもあったから日本箱をつくるなど朝飯前である。
学校の工作とはいえ、いわばプロの仕事だから、銅賞を獲るくらいあたり前だった。 ただ、忘れられない思い出になっているのは、普段は私を怒ってばかりいる先生が、この1件では、たいそう私を誉めてくれたからである。
「おまえ、器用だなあ」と、その先生は私の腕前に心から感心してくださったのだが、勉強嫌いで成績も悪かった私に、どれだけ自信になっていったか刀……その後、私か20歳にもならない丁稚奉公時代に、歯科医療用機械の修理を器用にこなすようになったのも、あるいは、あの中学生のときに言われた「おまえ、器用だなあ」という先生の言葉が、私のひそかな励みとなっていたからかもしれない。 そんなことを考えてみると、もちろん叱ることも大切だが、それと同じように、誉めるということが、いかに人間を教育していく上で重要な要素になっているかということがわかるのではないだろうか。

小学校低学年のとき、私は親元を離れて学童疎開をしていた。 だが、そんな生活の中でも、親に会いたいとか、家に帰りたいと思ったことは、ほとんどなかった。
今になって、なぜだったのだろうと考えてみると、引率の先生が非常に立派な方だったからだと思い当たるのだ。 先生は、私たち生徒の1人ひとりを、まるで自分の子供のように大切に扱ってくださっていた。
そんな素晴らしい先生だったからこそ、私たちはホームシックにかかることもなく、空腹ながらも溌刺と毎日を送っていたのではないだろうか。 そんなことを思い出し私の両親の思い出と併せて、教育というものが、いかに1人の人間の形成に大事な役割を果たしていくかということを、改めて私は考えるのである。
そんないろいろのことがあった中学時代だったが、昭和27年3月、他の同級生と一緒に無事に卒業して、私は杉並区高円寺にあった煎餅屋に、丁稚として奉公に行くことになった。 家が豊かでなくなっていた上に成績も悪かったので、高校進学どころではなかったのである。
母校となった長崎中学校には、卒業して以来、半世紀以上にわたって一度も行くことはなかった。

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